ふてほど問題

ふてほど(不適切にもほどがある)、が流行語大賞になって、改めて不適切が注目されている昨今(でもないかも)ですが、メディアに多少は関わる人間としても本当に難しいなという気がします。

僕の場合は競馬なので大したアレはないんですが、他媒体のコラムとか読んでいてたまにこれどうなのかな、と思うことはあります。

一例を挙げるなら、ある男性スポーツ選手のコラムで、グリーン車でたまたま隣に座ったある女性アスリート(コラムでは実名)に酔っぱらって話しかけたら、不審者を見るような顔をされた、という話。

正直、この話よくチェック通過したなと思ったんですよ。そのコラムを書いたアスリートはすごく良い感じのおっちゃんというタイプで何も悪気はなかったのだと思いますが、だからこそ編集者というかメディア側のチェックは大事ですよね。幸い騒がれることはなかったですが、もっと有名な人ならひと悶着あってもおかしくなかった気がします。僕がメディアの人間だったらそこの項目は削除したでしょう。

笑いとして成立する部分と、アウトな部分の線引きって大事。

爆笑問題がラジオで、

「お笑いのネタでブスにブスって言えなくなる時代が来るとは思わなかった」

と笑い話をしていたのですが、本当にそうなんですよね。

先日草野マサムネ(スピッツ)がラジオの冒頭のトークで、まさに不適切の話をしていて、今は歌詞を書くときもそこら辺のことを考える、っていう話をしていたんですよね。

それこそ昔の演歌とか歌謡曲なんて、今の時代に照らしたら、そこら辺結構危ういことばかりですよね。

『関白宣言』

とか流したらやっぱりクレームとか来るのかなと思ったり。

『3年目の浮気』

とかも、不倫を助長するとか言うのでしょうか(苦笑)。

私が好きな細川たかし氏が歌う、おそ松くんとかも、微妙ですよね。

例えば2番。

「うちの母ちゃんは主婦専業 グチはゆうまい我人生
掃除洗濯炊事に育児 女休んだ 半世紀」

ココとか、今流れたら微妙そう。

もちろん、今の時代はこの歌詞を書かないと思うんですよ。そこは時代に敏感な男の策士ですから(この曲も秋元康作詞)。

でも、過去は過去というか、当時の時代性とかがあるので、それを現代の感覚で判断するのもどうかと思うんですよね。

法律論でいうと、法の不遡及みたいな話。(※)

※法律は過去にさかのぼって適用しない原則

個人的には、もちろん気を遣うことは大事だけど、過去の作品にまでごちゃごちゃ言うなと思うのですよね。

ルッキズムとかも行きすぎると、じゃぁわざわざブスやチビをモデルに使うのかとか、そうなるし、何事も行きすぎると面倒になる面もありますよね。

もちろんね、いい面もあるし、僕も個人としては、

「見た目には触れない」

とかは確実に心掛けていますが、他方世の中としていきすぎるのもどうなのかなと思ってしまいますよね。何ごともほどほどということですよね。ふてほどより、ほどほど。

Source: TAROの競馬

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